2010年02月11日

西の魔女が死んだ』…著者;梨木香歩

『西の魔女が死んだ』…著者;梨木香歩 新潮文庫



西の魔女、と聞いてオズの魔法使いを思い浮かべる人も少なくないでしょう。
ドロシーの靴を手に入れようとたくらむ悪役ですね。
でもこの本のタイトルになっている『西の魔女』はオズの魔法使いとは何の関係もありません。

人間関係に疲れ、学校に行かなくなったまいは、日常から離れ、イギリス人のおばあちゃんの家に転がり込みます。
そこで待っていたのは、飼っている鶏の卵を朝ごはんの材料にしたり、野いちごを摘んでジャムを作ったり、という自給自足のオーガニックな生活。
そんな暮らしを続けているうち、やがてまいは、彼女の血族に伝わる、不思議な力を自覚するようになります。
そしておばあちゃんから、魔女になるための訓練を受け始めるのでした…。

『西の魔女』とは、まいのおばあちゃんのこと。
彼女が、生まれ持った力と付き合うために身につけた哲学は、傷付き疲れたまいに、ゆっくりと再起する力を与えていきます。
立ち直ったまいは、その力をどう使うのか。
それを教えてくれる短編が、後日談の形で収録されています。

ご存知の方も多いでしょうが、映画化もされています。

ラベル:梨木香歩
posted by kbk-mzp-ck9000CP at 07:33| 東京 ☁| Comment(0) | 書評・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

『ヴァイオレットがぼくに残してくれたもの』・・・ヴァレンタイン

『ヴァイオレットがぼくに残してくれたもの』…著者;ジェニー・ヴァレンタイン 小学館



イギリスの作品です。
本書が著者のデビュー作。2007年のガーディアン賞(イギリスの児童文学賞)を受賞しています。
児童文学といっても、小さい子向けのものではなく、YA(ヤングアダルト)という、中学生から高校生向けのジャンルです。
以前に紹介した『サレンダー』など、海外ではこのYA文学、結構盛んなようです。
いえ、むしろ日本が後れを取っているのかもしれません。
日本の児童文学にはYAものがあまりみられません。
どうしてでしょう?
ひょっとしたら、アニメや漫画が面白すぎるからかもしれません。
ジュブナイル(10代の少年少女)向けの市場がほとんどそれで埋まっているから、普通の活字物が入り込む余地がない…考えられる話です。
まあ、向こうには10代以降の鑑賞に堪えるアニメなんてほとんどないから、おあいこというべきかもしれません。

さて、お話の紹介です。
主人公の名はルーカス・スウェイン。
彼はある日、夜のタクシー会社の事務所で、置き去りにされた老女の骨壷をみつけます。
『彼女』の名前はヴァイオレット。
ルーカスはその骨壷になぜか霊感を感じ、父方の祖母と謀って骨壷を自分のものにします。
なぜ、自分はこんなにもこの骨壷に引かれるのか?
その謎を探っていくうち、彼は失踪した父親の秘密に近づいていくことになります。
一体、ヴァイオレットとは何者なのか?
彼女と、父親との関係は?

文体は主人公の一人称。
彼はユーモアを交えた文章で、軽快に読者に語りかけてきます。
物語を通して成長するルーカスの姿が印象的。

訳者;冨永星
posted by kbk-mzp-ck9000CP at 10:45| 東京 ☁| Comment(0) | 書評・児童文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

『AMEBIC』…金原ひとみ

『AMEBIC』…著者;金原ひとみ 集英社



芥川作家の、金原ひとみさん。
この人のこと、いまだに管理人は、もう一人の芥川作家、綿矢りささんとセットにして考えてしまいます。

そのことに受賞時のエピソードが関わっているのはもちろんなんですが、なにしろこの2人、作風も面白いほど対照的。

片方が、性的な『何か』(例えばアダルトチャットのアルバイトだったり、クラスメートのモデルおたくだったり)の周りをぐるぐる回り続ける、うぶな女子高生を取り扱うのに対し、もう片方が描くのは、そんなものとっくの昔に吹っ切って、どんどんアブノーマルな世界に沈んでいくビッチ系の女主人公

まるで合わせ鏡のようです。
この作品でも例に漏れず、主人公の歪んだ世界が、惜しみなく展開されています。
作家である『私』は、意識のないときに、改行も句読点もないわけの分からない文章『錯文』を書く癖があります。作品はいきなり『錯文』で始まるので、読み始めにはびっくりさせられます。
なぜ主人公は『錯文』を書いてしまうのか。
『私』は、決して普通の感覚の持ち主ではありません。
何しろ、食べものをほとんど食べないのです。
『私』は、物を食べるのは不潔なことと考えており、サプリメントや漬物だけで栄養を採っています。
そのため、普通の状態のときの述懐もどこか偏執的。
他人が食事をするのを、『私』が見ているというシーンがよく出てきますが、その描写が本当に気持ち悪く、主人公の、食べることに対する憎しみがよく伝わってきます。

純文学ということもあって、この作品にあらすじらしいあらすじはありません。
ただ、『錯文』と現実世界の描写とが交互に描かれる過程で、主人公のもつ歪みは次第にその度合いを増していきます。

奇妙な読後感の残る一冊。でも、暇なとき手元にあるとついつい読み返してしまいます。
posted by kbk-mzp-ck9000CP at 07:53| 東京 ☀| Comment(0) | 書評・ストーリー物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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